2012年1月5日木曜日

No5 1月5日(木) 漂泊の詩人 永井叔

歌人種田 山頭火
そして
詩人金子 みすゞは大正昭和初期を生きた二人。
金子はテレビCMで一気に知名度を上げたが、
同時代の永井叔(ながい よし)を知っているだろうか?
1926年(大正15年)のこの日、漂泊の詩人永井叔の送別会が現在の中区南仲通の中日ビルで開催された。
偶然見つけた一行に、永井叔(ながい よし)の名があった。
「オアシス社主催漂泊詩人永井淑(原文ママ)送別会、南仲通中日ビルで開催」
何気なく調べ始めたらこの詩人永井叔の不思議な一生に出会った。
永井は明治29年(1896年)四国松山市の代々御典医だった医者の5番目の末っ子として生まれる。
同志社卒業後,青山学院で神学を学ぶ。
大正7年兵として朝鮮竜山、歩兵第78連隊に入隊。上官に逆らい、禁錮2年で軍獄入り、懲罰の後退役。托行と称しマンドリンを弾きながら全国を放浪する。
ある時は天文学者と天体観測に集う子供達と写真に写り、絵本のモデルになり、駅前や広場でマンドリンを弾く姿を見た人は多い。
漂泊のマンドリン弾き永井叔は放浪を「托巡」といった。種田山頭火は「行乞」、表現方法は異なるが 時代の重い空気と放浪を支える人々の生活感を感じる。
「すべてはエスペラントのように……すべては大空のようにー」と書いたタスキをかけたエスペランティストでもあった。とにかく奔放だったことは間違いない。学生時代神学を学んだことにも起因するのか、エリシオンというか宮沢賢治的な感じを受ける。
意外なところに永井の名が登場する。マンドリン放浪の広島で永井は(知るヒトぞ知る)長谷川泰子と一緒になり京都に行く。その長谷川泰子は同じ詩人中原中也に奪われ、その中原は小林秀雄に彼女をとられてしまう「口惜しい男」として生涯を鎌倉で終える。(男の立場では)
冒頭に戻ろう。オアシス社の送別会を横浜で開催したというが、永井の作品がオアシス社で出版された形跡はない。
その多くが自費出版に近い。
彼の代表的作品は、かなり変わっている。従来の出版では物足りなかったのだろう。永井は1977年(昭和52)春、東京でなくなった。享年80歳だった。
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2013 横浜わが街シリーズは
2014年版として
継続移行中です。
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