2012年1月7日土曜日

No7 1月7日(土) 神社で婚約式を

若くして(29歳で)亡くなった詩人八木重吉と女学生 島田とみ は1922年(大正11年)のこの日、横浜の本牧神社で婚約式を行った。重吉は24歳英語教諭で、とみは17歳で女学生だった。島田とみに一目惚れした重吉は彼女が卒業したら結婚するという約束を婚約式という形で(神前で)誓ったのだ。

最初、今日のテーマはクリスチャンの詩人八木重吉にしようと思った。クリスチャンが何故神社で婚約式?と疑問に思ったからだ。資料を探しながら書き始めているうちに八木のパートナーとなった島田とみの人生に釘付けになってしまった。
島田とみ、明治38年2月4日、新潟県高田市(現・上越市)の日本画家の末娘に生まれた。11歳のとき父と死別し、蒔絵画家の兄・慶治の家に引き取られる。
優秀だった彼女はプロテスタント系の女子聖学院三年級の編入準備をしていた。その時に一週間だけ家庭教師に来たのが八木重吉だった。
八木の熱烈な求愛の結果、同年7月に二人は神戸で結婚式を挙げる。(彼女は高校を病気で中退する)
婚約、結婚、一姫二太郎の子供にも恵まれる。生活も安定し順調な家庭生活を過ごすが重吉の結核発病、闘病、そして死別を迎える。生活苦の中、重吉の死後10年目、長女桃子15歳の死。その2年後、長男陽二16歳の死。重吉、桃子、陽二は皆結核で失い独ぼっちになってしまう。
その後昭和19年の戦争まっただ中、縁あって妻を亡くし、4人の子を抱えて生活に困惑している鎌倉在住の歌人・吉野秀雄(1902〜67)と出会う。そして1947年(昭和22年)10月26日、重吉の21周忌に当たる祥月命日に吉野と再婚式を挙げた。
再婚後、登美子と改名し、重吉と秀雄の芸術を愛し94歳まで生きた。仏教徒の夫とは、宗教は異なったが最後までお互いの信仰を尊重しあったという。夫婦で小林秀雄や山口瞳とも深い親交があった。
吉野登美子の墓碑は 鎌倉瑞泉寺にある。
詳しくは
八木重吉 代表作 第一詩集『秋の瞳』、第二詩集『貧しき信徒』
吉野登美子『胸の底ひに 吉野秀雄の妻として』(1978年 弥生書房刊)
「琴はしずかに 八木重吉の妻として」(1976年 弥生書房刊)
※結局 クリスチャンの二人が何故 神社で誓い合ったか?分からずじまいでした。どなたかご存知でしたら教えてください。
※2 本牧神社といえば 不正流用事件のあったところですね。
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