2012年2月25日土曜日

No.55 2月24日 YOKUHAMA HOTEL-KANAGAWA

(2014年2月24日に加筆修正予定です)
開港時、横浜には様々な国籍の外国人がいました。
イメージ的にはイギリス、フランス、アメリカが目立っていますが、長崎で長く日本とつきあってきたオランダ人も活躍していました。1860年(安政七年)の今日、オランダ人C.J.HUFFNAGELが居留地70番に日本初のホテルを開業しました。
1858年8月18日(安政5年7月10日)にオランダとはアメリカ同様に修好条約が結ばれました。締結場所は江戸です。ちなみに
日米修好通商条約の批准書を交換するためにアメリカに渡ったのが万延元年遣米使節で、ポーハタン号でペリーの日本再訪の際の黒船の一隻でした。正使として新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順を代表とするチームでしたが、その随行でアメリカに向かったのが「咸臨丸」です。なぜか「咸臨丸」の方が有名になってしまいました。

オランダとも条約締結した翌年開港場横浜に一隻のオランダ船が入港します。フフナーゲル(C.J.HUFFNAGEL)船長率いるオランダ国王の名を持つ「ナッソウ」号です。入港の目的は未確認ですがフフナーゲル船長は「ナッソウ」号を売却しその資金でホテルを開業します。その名も「YOKUHAMA HOTEL」ですが、船の名から「ナッショウ住家(ホイス)」と呼ばれました。しかもチームナッソウのクルーも従業員となります。沈まない船を運営したようなものです。
この「YOKUHAMA HOTEL」オープニングに訪れた(可能性大)二人のオランダ人船長が二日後、江戸幕府を震撼させる事件に巻き込まれます。1860年2月26日の夜午後7から8時頃、本町通りあたりでオランダ人船長のW・デ・フォス(WesseldeVos)と、N・デッケル(JasperNanningDekker)が外国人排斥を狙う攘夷派によって斬殺される事件が起りました。生麦事件が起る二年半前の出来事です。
初めて日本が外国に賠償金を支払うことになった事件です。
「YOKUHAMA HOTEL」のメンバーも近くで起きた事件だけにかなり驚いたに違いありません。
現在居留地七十番の場所には「レストラン かをり」があります。洋上ホテルである豪華客船の元料理長が開いたお店がこの場所にあるのも何かの縁でしょう。

新聞広告の文面
YOKUHAMA HOTEL-KANAGAWA
The undersigned hegs to intimate that be has just opened the above establishment where families and others can be accommodated with comfortable Board and Lodging, in good style and at moderate charges.
The Hotel is well furnished amd beautifully situated,and.having now supplied a long recognized public want,the undersigned relies on the support of residents and visitors,to whose comfort and couvenience every attention will be paid.
C.J.HUFFNAGEL
9ju Yokuhama,February 24th,1860.
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2013 横浜わが街シリーズは
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下記にて移行継続中です。

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