2012年3月18日日曜日

No.78 3月18日 横浜公園に野球場完成

最近モバゲーが球団オーナーとなったことで話題になった横浜ベイスターズの本拠地が横浜公園にある「横浜スタジアム」ですが、この球場ができるまでには(も)様々なドラマが待ち受けていました。
1929年(昭和4年)のこの日、横浜公園に本格的野球場と野外音楽堂が完成しました。

「横浜公園」は日本人に開放された日本最古(最初)の西洋式公園です。
1875年(明治8年)外国人も日本人も自由に使用できる(本来の)公園として港崎遊郭の跡地に土木技師リチャード・ブラントンが設計し、造園されました。当時は「被我公園」とも呼ばれました。外国人(彼ら)と日本人(我ら)の利用できる公園という意味がこめられました。
「横浜公園」の6年前に「山手公園」が完成していますが居留地の外国人しか利用できませんでした。
この二つの公園は、共に居留地の外国人から強い要求があり造園が行われました。「山手公園」はスムースに完成しましたが「横浜公園」造園は紆余曲折あり設計に2年、完成までに4年以上かかります。
なぜ時間がかかったのか?
開港から大正期まで日本をとりまく世界情勢は、米英の対立と英露の緊張関係が深く日本に関わってきます。
特に横浜居留地では英米間の熾烈な対立がありました。居留地の防災対策として防火帯を設けるという要求は諸外国一致した日本政府への要求でしたが、歴史ある国が数歩リードします。日本のお雇い外国人はイギリス6,177人に対し、アメリカは2,764人と二番目でしたが、ハード系は圧倒的にイギリス勢でした。
イギリスからは鉄道開発、電信、公共土木事業、建築、海軍制度などインフラ整備には強く、アメリカからは外交、学校制度、近代農事事業・牧畜、北海道開拓など…わかりますよね。
横浜公園を巡っては、リチャード・ヘンリー・ブラントンRichard Henry Brunton(1841〜1901)設計ですが、彼は1868年に明治政府から英国政府に要請され招かれたお雇い外国人の第1号となります。「日本の灯台の父」と呼ばれているブラントンは26基の灯台設計をはじめ、日本初の電信架設の他、道路舗装・公園設計・鉄道建設・築港などインフラ系の父でもありました。
最初のブラントン設計案
(日本大通り側にクリケット場が大きく占有しています)
その彼が設計する公園で「クリケット場」が英米の意見衝突のネタになります。
英国案ではクリケット場が中心を占めていました。
クリケットは英国の国技で米国は「野球」ですね。
すったもんだの末、クリケットのできる総合運動場に落ち着きます。明治期クリケットの試合も野球の試合も行われます。
妥協の産物?ではないと思いますが折衷案となります。
その後、関東大震災で被災し1929年(昭和4年)の今日、園の復興整備として「野球場」と「野外音楽場」が新しく造られます。第一次世界大戦で欧州が疲弊し、次第にアメリカ文化が欧州文化を圧倒していく象徴かもしれません。
横浜公園野球場は戦後「ルーゲーリック・スタジアム」になり、接収解除後「平和球場」そして全面建替を行い「横浜スタジアム」となります。音楽堂も取り壊されました。戦前の名残は公園中央の「噴水」というところでしょうか。
昭和改築時に設置された三代目噴水 
花園橋側(こちらが正門?って感じしません?)

※(余談)
横浜公園の地主は財務省です。
住所は横浜市中区横浜公園で人口は0人無人です。
※(余談2)
横浜公園にプロ野球仕様の「スタジアム」を造る際、都市公園法がネックでした。
(公園施設の設置基準)
第四条  一の都市公園に公園施設として設けられる建築物(建築基準法 (昭和二十五年法律第二百一号)第二条第一号 に規定する建築物をいう。以下同じ。)の建築面積(国立公園又は国定公園の施設たる建築物の建築面積を除く。)の総計は、当該都市公園の敷地面積の百分の二をこえてはならない。ただし、動物園を設ける場合その他政令で定める特別の場合においては、政令で定める範囲内でこれをこえることができる。

つまり建ぺい率が2%ってことです。現状は約25%、都市公園法違反建築物です。
(当然 特例です 誤解なきよう)
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2013 横浜わが街シリーズは
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