2012年5月16日水曜日

No.137 5月16日 全店サマークリアランスセール開催中

大正時代。
つかのまの好景気の中、伊勢佐木町・元町は五月の「蔵ばらひ」(クリアランスセール)で賑わいました。
明治から大正にかけて現在の百貨店スタイルが始まりました。
デパートの黎明期は高島屋が1896年(明治29年)に京都南店に初めて「陳列式」(ショーウィンドウ)を導入したことに始まります。
大衆消費のシンボルとなるこの百貨店スタイルは全国主要都市に百貨店が華開くことで広がりました。札幌の今井百貨店(丸井今井)、鹿児島の山形屋、名古屋のいとう呉服店、そして横浜でも鶴屋呉服店(亀の橋)、相模屋呉服店(壽町)、野澤屋呉服店(伊勢佐木)、越前屋呉服店(伊勢佐木)といった大型店が次々と開店します。
特に大正期には第一次世界大戦頃の好景気に後押しされて、
 多品種を大量販売する“量販店”スタイルをとるようになりす。


(デパートの誕生)
デパートは近代社会の象徴でした。
1880年代にフランス パリでブシコー夫妻がデパートを確立します。
バーゲンセール、ショーケースによる商品の展示、値札をつけ定価販売を始めた百貨店システムは日本でもほぼリアルタイムに始まっていました。
競争の激化、新聞広告や街頭宣伝等に力をいれるようになります。
「蔵浚え」「蔵ばらひ」といったバーゲン中心ではありますが、
日本の小売りスタイルが「百貨店」として舵を切った瞬間です。

同時期の新聞から発見したちょっと驚きの記事を紹介しましょう。
イセザキ裏の福富町にあったキネデンこと「開港記念電気館」で「高木 徳子 世界的バラエチー一座によるリヒャルト・シュトラウス作の『サロメ』上演広告です。
(Wikiより)
高木 徳子は
「大正年間の一大ムーヴメントである「浅草オペラ」にアメリカ流のダンスで火をつけたことで知られる。トウシューズで踊った日本初のダンサーである。」
「1916年(大正5年)、伊庭の勧めもあって「世界的バラエチー一座」を旗揚げし、同年5月27日から10日間にわたり浅草公園六区の活動写真館「キネマ倶楽部」で昼夜連続公演を行う。これがいわゆる「浅草オペラ」の嚆矢となった。」
とあります。


この広告が1916年(大正5年)5月16日ですので、まさに彼女の歴史的前夜祭が横浜で行われたことは驚きでした。
しかも、堀越嘉太郎商店の抱き合わせキャンペーンとして上演されたとは。

ここからすこし余談になりますが
堀越嘉太郎商店は、大正時代の販売促進の天才、堀越嘉太郎の化粧品会社で、新聞や雑誌を利用した広告戦略や懸賞や観劇・遊覧ツアーなどのキャンペーンを多用する販売戦略により業績を伸ばしました。
当時のリーディングカンパニーはクラブ化粧品で、御園化粧品に次ぐ三番手が堀越嘉太郎商店の「ホーカー 化粧品」でした。

ここは他の化粧品会社と少し違っていたのが、「ホーカースヰート」という名で薬用“チューイングキャンデー”を製造販売していたことです。
現在のカルチャーの多くが大正時代にはあった と言われるくらい大正時代では自在な文化、経済活動が行われていたようです。

※「開港記念電気館」
明治41年に内山梅吉が始めた喜音満館(キネマ館)を(福富町1丁目30番地に)新築し、「開港記念電気館」と命名しイセザキの活動写真の核となります。

2月10日 不二屋伊勢佐木町店新築開店
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/02/210.html

1月30日 MATSUYA GINZAのDNA
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/01/130matsuya-ginzadna.html
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現在は下記「横濱界隈通信」に移動しました。


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