2012年6月21日木曜日

No.173 6月21日(木)横浜の代表的な運動公園

1964年(昭和39年)6月21日(日)の今日、
横浜市神奈川区にある三ツ沢公園(みつざわこうえん)で、
この年の10月10日開催予定の「第18回夏季東京オリンピック」に向けた横浜フェスティバルが開催され約45,000人が参加しました。
「第18回夏季東京オリンピック」は
日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックです。
(戦前に幻の東京オリンピックがあります)
アジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数となりました。
国内では関東エリアは勿論
日本全国で戦後日本の復興と国際社会への参加セレモニーとして多いに盛り上がりました。
この東京オリンピックの会場は国立競技場他東京中心でしたが、
横浜市内でも
「横浜文化体育館」(バレーボール)と
「三ツ沢蹴球場」(サッカー)が
予選会場として使用されました。
「三ツ沢蹴球場」(現在「ニッパツ三ツ沢球技場」)正面ゲートには殆ど読めない東京オリンピック会場の記念プレートが着いています。
下の写真右上のプレート■に見える部分を拡大したもの
現在Jリーグ横浜FCのホームグランドとして
サッカーファンに愛用されていますが、
ここはピッチと観客席の距離が近く「日産スタジアム」とは全く違う臨場感のある試合を見ることが出来ます。
1964年(昭和39年)6月21日(日)のイベントには約45,000人を集めます。

この三ツ沢公園は広さ300,055m2(約90,766坪)あります。

サッカーコートはもちろん、多数の競技場と馬術練習場、野外教育施設等が豊かな緑の中に配置されています。
※桜の名所でもあり、花見シーズンには数十万人の花見客で賑わいます。

三ツ沢公園は1949年(昭和24年)10月に開園し、
東京で開催された国体のバレーボール会場となしました。
第10回神奈川国体運営で活躍し1959年(昭和34年)に在職中に亡くなった平沼亮三(第15代・16代市長)の尽力が大きく、公園の中心部には彼のスポーツマン市長を彷彿とさせる像が建っています。
「平沼さんの像」と命名されています。
小泉信三による記
「横浜文化体育館」
No.132 5月11日 熱く燃えて半世紀
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/05/no132511.html

まさに、三ツ沢の丘から眼下に広がる沼地(西区平沼近辺)は
5代目平沼九兵衛が1839年に埋め立てを始め、
7代目平沼九兵衛の代で完成した街でもありました。
※横浜駅西口エリアは、もう一人岡野家による新田開発も忘れてはいけませんね。
公園施設の大半は南西側に集中していますが
北東側は豊顕寺市民の森(豊顕寺の裏山)につながる馬術練習場、
テニスコート等が整備されています。
またここには西南戦争(明治10年)から第二次世界大戦までの神奈川県出身戦死者を慰霊する「戦没者慰霊塔」が建っています。
意外と認知されていないのが残念です
アクセスはバスが最適ですが、最寄り駅としては市営地下鉄三ツ沢上町駅から豊顕寺市民の森経由が一番便利でしょう。
豊顕寺市民の森も藤棚が見事です。
おすすめ散策ルートをつくりました
公園を横切る新横通りの歩道橋から眺める風景はなかなか味わい深いものがあります。
テニスコートの向こうには丹沢山系が広がっています。
公園内のおすすめスポット
■横浜市三ツ沢公園青少年野外活動センター
http://www.yspc.or.jp/mitsuzawa_yc_ysa/

(余談)
1964年(昭和39年)開催の「第18回夏季東京オリンピック」選手村で世界の選手達を満足させた全国のコック達でした。
(この時、陣頭指揮に立ったのが帝国ホテルの犬丸徹三、とホテルニューグランドの野村洋三でした。二つあった食堂の内「富士食堂」は帝国ホテルの村上信夫総料理長が、「桜食堂」はニューグランドの入江茂忠総料理長が指導、指揮したそうです。
(もう一つ「インターナショナル食堂」があったが資料発見できず。)
「センターグリル洋光台店」のオーナーシェフ鈴木勇さんは「富士食堂」で料理の腕を発揮されたとか。別の機会に 調査してみましょう!?
***************************************
現在は下記のサイトに移行中です。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/

0 件のコメント:

コメントを投稿