2012年7月4日水曜日

No.186 7月4日(水) 一衣帯水の地 上海

横浜市は、
2010年6月28日(月)から7月4日(月)までの1週間を「横浜ウィーク」と題し、
上海市内において、横浜シティプロモーション、
横浜ブランドの市場開拓、観光客・中国企業の誘致を目的とする
イベントを集中的に開催しました。
市長自ら「横浜はっぴ」を着て横浜PR
上海「横浜ウィーク」横浜ブランド展レポート
(イントロ)
かつて魔都あるいは東洋のパリと称された世界最大級の商業都市上海。
訪れる時期によって全く印象の変わる変化する上海は
現在2,000万人の人口を呑み込み、いまだ膨張し続ける。
周辺人口を加えれば、中国はもとより、世界最大級の市場をもった街である。
そして、今年開催された「上海万博」をきっかけに
さらに新しい時代を切り開きつつあるこの街は、
横浜市と1973年から友好都市であると同時に、
日本から最も近い巨大市場でもあるにもかかわらず
遠い街であったのはなぜか?
中国3,000年の歴史といわれるが、上海の歴史は横浜の歴史と似て新しい。
共に19世紀末に欧米との貿易港として発展し、異文化の流入する国際都市として発展した。
一方で、上海は列強の占領政策による租界を中心にした街として、戦後、中国が独立するまで欧米列強のアジア拠点として日本の明治以降の方向に大きく影響を与えた。
1900年代の上海と横浜の関係は今想像する以上に深く 孫文、周恩来を含め多くの中国要人が横浜を訪れ、また経済的にも交流が深かった。
中華街の一角に今も孫文が身を寄せたことを記念する「中山記念堂」があり、孫文研究が華僑、日本人含め継続していることにも驚かされる。
今上海は急激な変化の中にいる。上海は数年前のイメージが全く通じない都市である。特に近年、日本がかつてそうであったように、上海万博のために 多くの大型PTが始まり、街の大改装が始まった。
6月28日(月)〜7月4日(日)まで一週間開催した、横浜ウィークに伴う「横浜ブランド展」の概要をレポートする。
(以上が 私の上海レポートの導入部分です)
【会場】上海梅龍鎮広場(一階広場)
住所:上海市南京西路1038号
地下鉄2号線「南京西路」駅下車3分

(以下省略 シャンシャン)
ということで、今日は若干番外編に近い私が歩いた上海のレポートにと考えましたが、
(その前に)
横浜と上海は友好都市です。(1973年(昭和48年)11月30日に友好都市提携を締結)
この友好を記念した公園が本牧市民公園の一角にあります。
「上海横浜友好園」まずはここの紹介から始めましょう。
1989年(平成元年)に横浜市と上海市の友好都市締結15周年を
記念してつくられた緑豊かな公園です。
横浜市が上海市に寄贈した「横浜上海友好館」のお返しとして上海市から提案、整備されたもので、中国江南様式による庭園です。
六角形の二重屋根が特徴的な湖心亭が湖面に写る四季の姿は借景の「三渓園」と相まって見事です。
三渓園には是非「上海横浜友好園」側南門から入場されることをお勧めします。

No.171 6月19日(火)虚偽より真実へ、暗黒より光明へ 我を導け
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/06/no171619.html

(もう一つの横浜・中国)
地蔵王廟をご存知ですか?
1892年(明治25年)4月に完成した寺院です。
横浜に暮らす中国人が、主要材を広東省広州から船で運搬し、軸部や外壁、屋根材は横浜で調達して建造しました。
中庭を中心に建物を前後に取り囲む南方特有(河南方式)の建造物で近代建築としては横浜最古のものです。
横浜市指定有形文化財(建造物)に指定されています。
所在地:中区大芝台7番地
中国では古来、異国の地で亡くなった場合、棺は生まれ故郷に返す習慣(回棺)がありました。横浜港には年に一回、棺を本国に送る船が帰港しましたが関東大震災以後、追いつかなくなり日本の習慣を受け入れるようになり火葬されるようになりました。(納骨のはじまり)
戦後、様々な事情でこの中華墓地の管理ができない状態が長く続きました。昭和60年代に入り、整備計画がまとまり地蔵王廟の復元が決まります。学者・識者の調査を終え、平成7年に修復された地蔵王廟が落成します。
横浜の華人、華僑の歴史は この「暦」でもどこかで紹介しておきたいテーマです。詳しくは 別の機会に譲ることにしましょう。
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