2012年9月7日金曜日

No.251 9月7日(金)リンディ夫妻の喜び

1931年(昭和6年)9月7日(月)に横浜を訪れたリンディ夫婦は熱狂的な歓迎を受けましたが、二人の人生は平坦なものではありませんでした。
日本を訪れたころが最も幸せな一瞬だったかもしれません。
1927年(昭和2年)に「スピリット・オブ・セントルイス」号で
大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した空の英雄、チャールズ・リンドバーグをご存知の方も多いと思います。
彼のことを親しみをこめて人々はリンディと呼びました。

英雄リンディには二つ大きな誤解がそのまま信じられていますので、まずここで訂正しておきましょう。
“大西洋無着陸飛行”はリンドバーグが世界初ではありません。
遡ること8年前の1919年(大正8年)2月にジョン・オルコットとアーサー・ブラウンによって成し遂げられています。
リンドバーグは「単独世界初」で成功したことが偉業として讃えられています。
たまたま、懸賞金付きの飛行に無名の青年が、自分でカスタマイズした(質素な)飛行機「スピリット・オブ・セントルイス」で成功したことで、オルティーグ賞と賞金25,000ドル、この賞金を上回る世界的な名声を勝ち取ります。
ジョンとアーサーが成功した1919年(大正8年)は禁酒法が始まる頃で、リンドバーグの時代は禁酒法のまっただ中、国民のストレスが溜っていたのかもしれません。

もう一つ「翼よあれがパリの灯だ」という名ゼリフは後世の脚色です。
自叙伝のタイトルも"The Spirit of St. Louis" でまさにフィットしたタイトルが事実を覆いかぶしてしまったようです。
機械好きの無名パイロットは、この成功で人生が一変します。
1929年(大正18年)に駐メキシコ大使ドワイト・モロー(Dwight Morrow)の次女アン・モロー(Anne Morrow Lindbergh)と結婚し、妻となったアンは、夫の勧めでパイロットや無線通信士の技術を身につけます。
そして、1931年(昭和6年)に北太平洋航路の調査飛行に「二人で」出発します。
ニューヨークからカナダ、アラスカを経て8月23日に国後島、8月24日に北海道根室市、そして26日にあの飛行船ツェッペリン号が降り立った霞ヶ浦に到着します。
No.232 8月19日 (日)LZ-127号の特命
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/08/no232-819-lz-127.html
数日間、東京で過ごす間、日本政府機関との打ち合せの合間をぬって、リンディ夫妻は横浜を訪れたのです。

(横浜のリンディ夫妻)
二人は、アメリカ領事に案内されまず県庁に山縣知事を表敬訪問します。
ここでは、貴賓室でお酒が出され乾杯が行われたのですが、
リンドバーグは「母国は禁酒なのでこの写真は撮らないで欲しい」とジョークを言ったそうです。
県庁の屋上に上がり、山手の外国人墓地を眺め、そこから哀悼の意をしめします。
帰りにはお土産として「真葛焼の壷」が贈られました。
その後、市役所に市長を訪ねる際、沿道は「空の英雄」を見るため市民で一杯だったそうです。
霞ヶ浦の歓迎風景
大西市長を訪問した後、一行は野毛の震災記念館(老松会館→現在急な坂スタジオ)を見学し震災の被害に心を痛めたそうです。

その後大阪・福岡を経て、中華民国の南京・漢口まで飛行し、調査飛行も成功するかにみえましたが、事故のため飛行を断念します。
その後のリンディ夫妻には、波乱の人生が待ち受けています。
ここからは、ぜひ
『孤高の鷲 リンドバーグ第二次大戦参戦記』
(上下、学研M文庫、2002年)をお読みください。
●1932年(昭和7年)2月1日自宅から1歳8ヶ月の息子が誘拐され遺体で発見
これにもマスコミが大きく反応し、中には息子の死顔を写真に撮り配布されるという事件も起ります。
●海外への逃避
●当時のルーズベルト大統領との確執
●当時のナチスドイツ寄りの発言で一気にバッシングの対称に
●太平洋戦線に参加、連合国軍(アメリカとオーストラリア軍)による日本兵捕虜の虐殺・虐待をしばしば目撃したことを記録。
●1953年(昭和28年)に大西洋単独無着陸飛行について書いた "The Spirit of St. Louis"(邦題『翼よ、あれがパリの灯だ』)を出版
●晩年は、妻アン・モロー・リンドバーグと共にハワイのマウイ島に暮らす。
※当時から反捕鯨運動にも関心を持っていました。

(科学者リンドバーグ)
■リンドバーグの還流ポンプ
リンドバーグの大きな業績の1つとして人工心臓の開発があります。
リンドバーグには心臓弁膜症を患っていた姉がおりました。
姉の心臓病の治療法を開発したいという思いから生理学者アレクシス・カレルの研究室を訪れたことから2人は意気投合し共同研究を行います。
1935年(昭和10年)には世界初の人工心臓である「カレル・リンドバーグポンプ」を開発し、今日の人工心臓の原型となっています。
皮肉にも、カレルはフランスに渡り研究を続けますが、時もビシー政権(ナチス傀儡政権)に加担したということで失脚します。失脚しなければもっと早く人工心臓の実用化が行われたと言われています。

科学者でもあったリンドバーグは、1945年(昭和20年)12月ワシントン航空クラブで
講演しました。
その一部を締めくくりにします。
「誤って導かれた科学の発達は、善よりも害を結果しがちである。なるほど、科学は人間や国家に力を与えた。しかし、単独では限られた生命しか持たないことを忘れてはならない。…歴史は力の誤用に充ちている」

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