2012年10月24日水曜日

No.298 10月24日(水)法廷は横浜へ

1886年(明治19年)10月24日(日)に
紀州沖で起ったノルマントン号座礁沈没事故が、日英間の大事件に発展しました。
四年後同じく
紀州沖で座礁したトルコ軍艦(エルトゥールル号)救出劇は(事件にはならず)
両国友好の美談となります。
この二つの事故の違いには治外法権の大きな壁がありました。
二つの外国船事件の学校教材
横浜の外国人居留地は“治外法権”でした。
しかも、江戸幕府が1859年(安政4年)に結んだ安政五カ国条約(アメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスとの通商条約)は、関税自主権が無く、領事裁判権を認めたほか、片務的最恵国待遇条款を承認する典型的な「不平等条約」でした。
明治政府になっても列強各国はこの不平等条約を改定することを拒み続けます。
このような状況の中で、このノルマントン号事件が起ります。

(ノルマントン号事件)
1886年(明治19年)10月24日午後8時ころ、
横浜港から日本人乗客25名と雑貨をのせて神戸港に向かったマダムソン・ベル汽船会社所有のノルマントン号(Normanton)240トン(英国船籍)が、
航行途中暴風雨によって紀州沖(和歌山県串本町潮岬沖)で難破、座礁沈没します。
この時、ノルマントン号船長ジョン・ウイリアム・ドレーク以下英独の乗組員達は全員救命ボートで脱出し、漂流していたところを沿岸漁村の人びとに救助されて手厚く保護されます。
事故は美談に終わるはずでしたが、日本人の乗客25名の生存がありませんでした。
座礁事故が事件になったのは、外国人乗組員が日本人の救命活動を一切しなかったのではないかという疑惑が起ったからです。
明治政府、時の第1次伊藤内閣の外務大臣井上馨は事実究明の命令を発します。
沈没船を探しますが明確な証拠は出ませんでした。
しかし乗務員が無事で乗客の日本人が全員死亡というのは明らかにオカシイということで、政府は神戸領事館に海難審判を請求します。
船長ドレークは「船員は日本人に早くボートに乗り移るようすすめたが、日本人は英語がわからず、そのすすめに応じずに船内に籠もって出ようとしなかったのでしかたなく日本人を置いてボートに移った」と主張、これを認めて船長以下全員に無罪判決を下します。
この判決を知って日本世論が沸騰します。
緊急時に言葉がわからないからといって逃げない人間がいる訳が無い!!
新聞や演劇で一般に伝わり世論が盛り上がります。
義援金は集まる、無名作家により「ノルマントン号沈没の歌」という歌が作られ市民に大流行し「不平等条約撤廃」「国権回復」の圧力となっていきます。
(領事裁判権)
外務大臣井上馨は鹿鳴館を作るなど欧化政策を進めていましたが、これをキッカケに井上外交「媚態外交!」「弱腰外交!」「外交の刷新」「条約改正(不平等条約撤廃)」と政治状況も緊迫します。
そこで井上外相は、本国に帰国しようとしていたノルマントン号乗員を政府は出船停止処置とし、兵庫県知事名で横浜領事裁判所に殺人罪で告訴させます。
横浜を出港したノルマントン号乗員は、横浜に戻り「領事裁判」を受けることになります。
領事裁判権とは
「在留外国人が起こした事件を本国の領事が本国法に則り裁判する権利」のことです。
現在に置換えれば沖縄の米兵婦女暴行事件の裁判権がアメリカ政府にあるという状態のことをさします。
冒頭でも触れましたが、
そもそも日本国が
1858年に締結した各国の「修好通商条約」に
領事裁判権の定めを認めてしまったところに起因します。
五カ国条約は微妙に各国異なります。
横浜の領事裁判所判事は、
二代目ニコラス・ハンネン(任期1881年〜1891年)が担当します。
彼はこの後1891年から1897年まで上海総領事を務めます。
裁判官とはいえ、領事館のスタッフですから、
判決が母国有利に働くことが多かったようです。
判決は禁固3ヶ月の有罪、しかし死者への賠償金請求は却下されます。
開港以来、日本国内の英国人に関わる重要訴訟は中国上海の租界にある英国高等領事裁判所で行っていました。
1879年(明治12年)に
横浜領事裁判所(The British Court for Japan)が設立されようやく日本国内で裁判が行われるようになります。
事件当時国(横浜)で裁判が行われただけでも、大きな進歩だったといえます。
領事裁判権は1894年(明治27年)睦奥宗光による治外法権の撤廃実現まで続き、完全な不平等条約撤廃は小村寿太郎による1911年(明治44年)の関税自主権の完全回復達成までかかる半世紀にも及ぶものでした。
因みに横浜領事裁判所のあった場所は?
旭日旗のように見える国旗が英国領事館の場所です
現在の横浜市開港資料館の場所です。
このノルマントン号事件、調べて驚きました。全国の多くの小中学校で歴史教材のテーマとして使われている事件なんですね。
紛争は避けなければなりませんが、
国家主権をいかに外交で守るか!
政治家の重要な仕事ですね!

「番外編」10月17日こら!ちゃんと仕事せい!
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/10/1017.html

No.159 6月7日(木)強い日土友好の原点
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/06/no15967.html

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