2012年11月19日月曜日

No.324 11月19日(月)広田弘毅に和平を進言した男像

日本一大きかった(未確認)…県知事像が撤去!
認知度低い?
戦後初の民選神奈川県知事「内山 岩太郎像」が
1975年(昭和50年)の今日11月19日に建立され、
2012年7月に解体されました。
偶然撮った内山像
実は「内山 岩太郎像」解体を知ったのは、このテーマを調べているときでした。前々からこの像の前を通る度に気になっていた人物像です。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1206260032/
高島嘉右衛門の足跡を追って青木橋から高島台あたりを散策するルートにちょうど「神奈川県私学会館」があり、ここの前庭にどーーんと建っていました。
台座を含めると8.6メートルの高さにもなるそうです。東日本大震災後、近隣住民から倒壊を不安がる声が寄せられ欠いたが決定したそうです。(写真撮っておいて良かった)
Googleストリートビューではまだ見ることが出来ますよ。
ストリートビュー
(耐えられない存在の遠さ?)
私だけかもしれませんが、神奈川県知事は横浜市民にとって遠い存在ですよね。
解体要求の背景には、個人銅像としては大きすぎる(威圧感)が、倒壊の危険性より強かったのではないか?と勝手に想像します。
ではこの内山なる彼の人物像を調べてみますと実にもったいない気もします。
改めて、
横浜市民に聞く!
「戦後県知事を何人知っていますか?」

“内山 岩太郎(うちやま いわたろう)”は、戦後初の民選神奈川県知事です。
戦前南米・ヨーロッパで外交官を務め実績を残します。
戦後は1947年から67年まで5期20年の長期にわたって神奈川県知事でした。
彼は5期務めただけはある!
いろいろ足跡を残しています。
個人的に評価するのは
1951年(昭和26年)神奈川県鎌倉市雪ノ下・鎌倉八幡宮境内に開館した神奈川県立近代美術館(坂倉準三設計)
1954年(昭和29年)11月に開館した神奈川県立図書館と音楽堂(前川國男設計)
この二つの文化施設建設を(当時の状況下で)推進した功績は大きいと思います。
双方共に建て替え(廃止)計画が持ち上がりますが、多くの存続支援活動を経て現在も現役で活躍しています。
また、横浜開港100周年を記念して昭和34年(1959年)にオープンしたシルクセンター(坂倉準三設計)建設にも尽力しています。
当時これこそ財政難の折、選択眼は間違っていませんでした。

(内山 岩太郎略歴)
1890年(明治23年)2月28日
 前橋市天川原町5、農業岩吉・ちか子の三男として誕生
1902年(明治35年)4月1日
 群馬県立前橋中学校入学
1907年(明治40年)4月8日
 東京外語学校スペイン科に入学
1909年(明治42年)9月15日
 外務省留学生としてスペイン・マドリードに到着
1912年(明治45年3月
 外務書記生に任命、在スペイン公使館勤務
1917年(大正6年)11月22日
 外交官領事官試験に合格、チリ在勤を命じられる
 南米・ヨーロッパの外交官勤務5年に及ぶ
1923年(大正12年)1月11日
 内田康哉外務大臣の秘書官に任命
1924年(大正13年)1月16日
 十文字信介の娘登志子と結婚
 南米・ヨーロッパの外交官勤務15年に及ぶ
1937年(昭和12年)10月22日
 アルゼンチン公使に任命
1942年(昭和17年)7月24日
 広田弘毅に和平を進言
1943年(昭和18年)3月31日
 外務省から退官
1947年(昭和22年)4月5日
 神奈川県知事選に立候補し初当選
1957年(昭和32年)3月1日
 川崎臨海工業地帯造成に着工
1962年(昭和37年)2月15日
 津久井郡城山町にダム建設着工
1966年(昭和41年)5月17日
 県新庁舎落成
1966年(昭和41年)
 勲一等瑞宝章を受章。
 長年の功績がたたえられてペヘレイがアルゼンチンから移植された
1967年(昭和42年)4月22日
 在職21年におよんだ神奈川県庁を去る
1968年(昭和43年)6月17日
 登志子夫人死去
1971年(昭和46年)11月16日
 横浜市港北区日吉本町自邸にて死去

エピソードは満載です。
トピックスは、
1942年(昭和17年)7月24日、もう戦争始まってます。
年齢一回り先輩の広田弘毅に和平を進言しますが時遅く、
1943年(昭和18年)3月31日外務省を退官します。

■カトリック信者で頑固者。(大平正芳にも共通)
■スペイン語は滑らか堪能で、戦前は外交官として活躍。
■「相模湖」の命名者、命名でいえば県立「柏陽」高校の名付け親。
■戦後は吉田茂の信任が厚く、進駐軍と丁々発止ディベートする交渉力。
■終戦直後の食料危機への現場対応の見事さ。
■政治的には神奈川県政のドン河野一郎とは同じ保守陣営でありながら犬猿の仲。
■米国排日政策の中、ブラジルへの集団的移民に多大な貢献をします。
http://www.ndl.go.jp/brasil/greetings.html
産業育成では
■いち早く地域ブランドの育成に着手した独自の「神奈川県指定銘菓」制度を制定し推進します。(現在も活きてますね)
■内山岩太郎知事、最後の仕事として推進したのが「神奈川県立歴史博物館」(けんぱく)です。

(何故私学会館に銅像?)
内山岩太郎神奈川県知事は「心して育てよ日本の子供らを」という言葉のレリーフを神奈川県立総合教育センターに残しています。
彼の功績の代表例は“教育振興”といえるでしょう。
近代日本における初の私立学校は横浜(神奈川)から始まりましたが、第二次世界大戦後、神奈川県内の私学各校のダメージは相当のものでした。
物的被害、人的被害、資金難のハードルを乗り越せるために様々な県政手腕を発揮、神奈川私学にとって「中興の祖」とも称せられました。
○県私立学校審議会設置
○「学校法人の助成に関する条例」(私学助成)施行
※全国に先駆けて私立学校教育のための補助金制度を整備した功績は大きいと言えるでしょう。
神奈川県と横浜市が 不仲だった(今も?)時代の知事でもあります。
横浜市と神奈川県の関係に付いても何れ紹介しましょう。

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