2012年12月14日金曜日

No.349 12月14日(金)6人の指導者達

1961年(昭和36年)12月14日(木)の今日、
ハマの六偉人をしのぶ会がホテル・ニューグランドで開催されました。
仏教学者の鈴木 大拙翁の記念講演が行われました。
(今日は少々手抜きです。ご勘弁を。番外編でフォローします)
※鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)[1] 、1870年11月11日(明治3年10月18日)〜 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。(Wiki)
【六偉人とは】
★原 富太郎(原 三渓)はら とみたろう
★平沼 亮三 ひらぬま りょうぞう
★中村 房次郎 なかむら ふさじろう
★井坂 孝 いさか たかし
★有吉 忠一 ありよし ちゅういち
★美澤 進 みさわ すすむ
さて?皆さんはこの六人中何人ご存知ですか?
また、
なぜこの6人が選ばれたのでしょうか?
選定理由は現在資料が無く不明だそうですが、ほぼ同世代人として激動の横浜をリードして来た指導者達といえるでしょう。
簡単に紹介しましょう。

①原 富太郎(原 三渓)はら とみたろう
 1868年(慶應2年)10月8日〜1939年(昭和14年)8月16日
 実業家で横浜の名庭園「三渓園」の名で有名ですね。
 震災復興に横浜経済人として私財を投入し、横浜復興に奔走します。
震災で多くの横浜発の企業人が“東京シフト”する中、
最後まで横浜に軸を置いた企業人でした。

 No.280 10月6日 (土)天心と三渓
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/10/no280-106.html
 No.342 12月7日(金)2013年は古民家を愉しもう
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/12/no342-1272013.html
 No.325 11月20日(火)秋の庭園美満喫はここ
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/11/no325-1120.html
 No.171 6月19日(火)虚偽より真実へ、暗黒より光明へ 我を導け
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/06/no171619.html

②平沼 亮三 ひらぬま りょうぞう
 1879年(明治12年)2月25日〜1959年(昭和34年)2月13日
 元横浜市長・経済人で生涯スポーツマンとして活躍しました。
 平沼亮三は、横浜市議会議員時代に関東大震災に遭い、四男、四女の二人の愛児を失います。市議会議員として復興に関わります。
 彼の功績も限りなくありますが、戦災復興時の横浜市長として横浜発のスポーツ振興に尽力したことは有名です。

 No.309 11月4日(日)名実共に記念館
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/11/no309114.html

③中村 房次郎 なかむら ふさじろう
 1870年(明治3年)〜1944年(昭和19年)
 横浜の経済人・起業家です。
 横浜製糖、岩手県に松尾鉱業を創立し戦前の経済界で活躍しました。
 岩手県史に欠かせない経済人です。
(彼に関しては 番外編でその生涯を紹介します)

④井坂 孝 いさか たかし
 1870年(旧暦明治2年12月8日)〜1949年(昭和24年)6月19日
 明治〜昭和時代前期の多彩な経済人です。
 東洋汽船に勤めてその後
  横浜火災保険に移り1921年(大正9年)に社長となります。
 最大の功績は
第一次世界大戦後の金融不況で経営破綻した七十四銀行を整理。
横浜興信銀行(現在の横浜銀行)を設立したことです。
また、関東大震災の被災寺に横浜商工会議所会頭として復興に尽力します。
横浜興信銀行の副頭取のちに頭取となりました。
東京瓦斯(ガス)・ホテルニューグランド・日本アルミ社長社長も務めました。
他に横浜船梁会長・日本郵船・三井銀行・東洋電機・日本無線電信・横浜商品倉庫・横浜海上火災各取締役等を兼務したマルチ経済人です。

No.145 5月24日 BOY七十四(修正版)
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/05/no145524boy.html

⑤有吉 忠一 ありよし ちゅういち
 1873年(明治6年)6月2日〜1947年(昭和22年)2月10日
 元横浜市長で歌人でもありました。
 有吉 忠一も関東大震災の復興に尽力した市長です。
 震災復興の一環としてホテルニューグランド創設を推進します。
 No.336 12月1日(土)ホテル、ニューグランド
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/12/no336-121.html
 No.128 5月7日 今じゃあり得ぬ組長業!?
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/05/no12857.html
 No.83 3月23日 雨が降りやすいので記念日変更
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/03/323.html
 →彼に関しても 注目しています。改めて紹介します。

⑥美澤 進 みさわ すすむ
 1849年(嘉永2年)〜1923年(大正12年)9月16日)
 生涯 教育者として後進の指導にあたります。
 No.267 9月23日(日)Yの真価
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/09/no267923y.html
 (Y高創設者)
横浜市南区にある横浜市立横浜商業高等学校(Y高)の設立に尽力します。
開校時、生徒が15人からスタートしたことは有名です。
当時は〈美沢塾〉と呼ばれ、スマイルズ《セルフヘルプ》を説き、多くの「横浜経済人」を育てました。
 http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/hs/y-shogyo/

2 件のコメント:

  1. いつも拝見させていただいております。
    さて、原富太郎の誕生日ですが慶應4年もう11日生まれるのが遅ければ明治元年です。 

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  2. zivagoさん 何時もお読みいただき
    またコメントありがとうございます。
    明治元年は9月8日から始まります。
    この旧暦西暦にも悲喜こもごも面白い話しがあります。
    明治5年12月2日まで旧暦で
    翌日が明治6年1月1日(1873年1月1日)になり西暦と揃います。
    ここで約一ヶ月飛んでしまう訳ですが、
    一説によると 財政難で 年度予算を一ヶ月短縮で乗り切るという(暴挙)に出た。
    江戸時代から元号が突然変わることに慣れていたからこそできた政策ですかね。

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