2013年2月8日金曜日

No.401 短くも美しく

幕末から明治にかけて開港後の横浜の風景や風俗を描いた「横浜浮世絵」と呼ばれた版画(錦絵)がありました。
今日は、短くも見事な時代描写として歴史の一級資料となった「横浜絵」「ハマ絵」「横浜錦絵」とも呼ばれた「横濱浮世絵」を紹介します。

(変化を伝えるメディア)
初代イギリス公使オールコックは、変化する日本(横浜)を「魔法使いの杖の一振り」と表現しました。

日本の文化は横浜を舞台に、開港をキッカケに一気に外国の影響を受け激変していきます。この様子を当時のフルカラー映像「メディア」として伝えたのが「横浜浮世絵」です。

(「横浜浮世絵」とは)
幕末から明治にかけて急速に発展・変化していった横浜の“開港場”で繰り広げられた現象や事物を題材とする「末期の浮世絵」のことです。
すでに長崎では江戸の長崎土産として作られていた異国趣味の「長崎絵」が、
「横浜浮世絵(横浜絵・ハマ絵・横浜錦絵)」としてご当地流行メディアにのってブレイクしたのです。
まさに開港という時代を反映した一連の横浜浮世絵は、当時のお土産物として人気があり浮世絵制作集団が横浜マーケットになだれ込みます。
浮世絵制作集団は、師岡屋や伊勢茂など少数の版元を除き、大半が江戸の版元でした。

(短期集中連作)
横浜浮世絵は、1860年(万延元年)〜1872年(明治5年)頃の約12年間だけ制作されました。作品総数は840点余りで作品の半分以上が横浜港開港直後の“2年間”に集中しています。
●港を中心とした外国船の出入りの様子
■貿易の有様、外国人とその珍しい風俗・習慣、横浜の賑わいや街並
●港町を中心として作られた遊郭の隆盛
□舶来物や渡来したサーカスや象などの見世物
★横浜の地図類や案内書など
集中して描かれましたがこの12年間の作品群から前期は人物中心、後期は建物中心のものが多く制作されました。
絵師は、当時江戸で活躍していた「横浜浮世絵の第一人者」と評される歌川貞秀を始め、
芳虎や芳員、
二代広重、三代広重など50人余りが活躍しました。

横浜浮世絵の特徴の一つに絵師や版元が明瞭である点があげられます。
日々変化し発展する対象物や時事の題材をニュース性に重点を置き制作されたために、作品の雑さを指摘する向きもありますが、歴史的価値は当代一級のものといえるでしょう。
 その後、開港場が産業の場として落ち着く事で、東京を中心とした「開化絵」と呼ばれる新しい題材を描いた浮世絵へと移行していきます。
開化絵に入る伊勢山下瓦斯会社の図
素材は文明開化の様子や風俗、西洋建築物、開通したばかりの鉄道などが多く人気は横浜から東京に移り、横浜浮世絵は自然消滅していきます。
代りにと言っては少々乱暴ですが、メディア「横浜浮世絵」は(横浜)新聞に、(横浜)世相芝居として、新しい文化を発信していきます。

横浜浮世絵
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/picture/02.html

http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/ukiyoe/yokohama/m_yokohama01.html

http://www.odagiri-tsushin.net/ukiyoe/genre.php?genre=yokohama

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