2013年10月16日水曜日

横浜年表ピックアップ【10月16日】

横浜の出来事を年表からピックアップしました。
今日は台風26号モードで (直接関係ありませんが)短めに

●1905年(明治38年)の今日
「小村全権が横浜港に帰着した」
小村全権とは“小村寿太郎”のことです。
wikiより
1905年(明治38年)に日露戦争が終わり、この戦争に関する関係国の講和会議(ポーツマス会議)が開催され、小村はこの会議の全権大使として参加しました。当時、最も外交力のある人物でしたが彼をもってしても欧米各国の巧妙な外交力の前に十分な実力を発揮できないまま、ポーツマス条約を締結し帰国します。
結果に世論は沸騰し、焼き打ち事件が起こり世情不安になります。
横浜年表ピックアップ【10月4日】
http://tadkawakita.blogspot.jp/2013/10/104.html
1905年(明治38年)10月4日
第26代大統領セオドア・ルーズベルトの長女アリス・ロングワース・ルーズベルト(21歳)がアジア歴訪の帰りに「ミネソタ号」で再度横浜港に立ち寄ります。
この出来事と 深く関係があります。

●1939年(昭和14年)の今日
目黒蒲田電鉄は臨時株主総会を開催し、
 社名を「東京横浜電鉄株式会社」と変更します。」
えっ?と思うかもしれません。
東京横浜電鉄株式会社はこのときすでに現存しています。
1924年(大正13年)10月25日に「武蔵電気鉄道」から「東京横浜電鉄株式会社」と変更し社長に矢野恒太、専務取締役に五島慶太が就任します。
これが「東京横浜電鉄株式会社」の始まりです。
では、何故
ここに別会社の目黒蒲田電鉄が「東京横浜電鉄株式会社」と変更したのでしょうか?
実は1939年(昭和14年)の今日、
1924年(大正13年)から運営している「東京横浜電鉄株式会社」を
「目黒蒲田電鉄」が吸収・合併します。
普通なら吸収した方の会社名を名乗るのが一般的ですが、
目黒蒲田電鉄は、吸収した「東京横浜電鉄株式会社」の名をそのまま統合会社に使用します。
元々
目黒蒲田電鉄は、
1922年(大正11年)に渋沢栄一が立ち上げた田園都市(株)の鉄道部門を分離独立させ設立した会社です。
二つの別会社 共に経営陣の中に“五島慶太”が就任していました。
彼がこの「目黒蒲田電鉄」と「東京横浜電鉄株式会社」を合併させ 一つの「東京横浜電鉄株式会社」現在の東急を創り上げました。
本当はもっとややこしいのですが、ざくっとまとめてしまいました。

※会社合併とは全く関係ありませんが
1954年(昭和29年)の今日
東急東横線に画期的なデザイン、性能を持つ超軽量高性能5000系車両が導入されました。
(Shellparakeet)
懐かしい方いるのでは?ボディはグリーンです。
●1941年(昭和16年)の今日
「横浜興信銀行が県下6銀行を合併した。」
(株)横浜興信銀行は
1920年(大正9年)に誕生し1957年(昭和31年)まで横浜金融界の要となった銀行で、
1956年(昭和31年)から(株)横浜銀行=浜銀→BOY(The Bank of Yokohama,Ltd.)となり現在に至っています。
ビル群の一番左の縦に青い筋のあるのが浜銀本店
日本最大の地方銀行で、都市銀行と肩を並べる資産力を有しています。
1941年(昭和16年)の今日は、
明治25年創業の(株)相模銀行、
明治33年創業の(株)足柄農商銀行、
昭和2年創業の(株)明和銀行、
昭和5年創業の(株)鎌倉銀行、
昭和7年創業の(株)秦野銀行、
昭和7年創業の(株)平塚江陽銀行
の6行を合併します。
横浜興信銀行は元々、経営危機に陥った地元神奈川の破綻整理や経営改善のために設立された組織でした。
キッカケは1920年(大正9年)第一次世界大戦後の反動恐慌下で破綻した
七十四銀行と横浜貯蓄銀行の2行を整理・精算する目的で設立されました。
その後、神奈川県内の小規模の銀行を吸収合併し、神奈川県の代表金融機関として戦後不動の位置に付けます。
昭和20年を最後に (株)都南貯蓄銀行を吸収し
最終的には15に及ぶ金融機関が合流してできた全国でも珍しい、民間資本だけで大銀行となった“地方銀行”です。
No.145 5月24日 BOY七十四(修正版)
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/05/no145524boy.html
No.352 12月17日(月)市民の財布を守った都南
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/12/no3521217.html
※初代頭取は三渓園を作った原富太郎です。

●1967年(昭和42年)の今日
バス48系統
 横浜駅前〜中央市場前間の運転を開始しました
かつて中央市場にも市電路線がありましたが、初期の廃止路線として1966年(昭和41年)8月に生麦〜神奈川区役所間が廃止されるに伴い廃止になります。
代りにバス路線48系統が開通しますが、
中央市場にバスが行くようになった背景には、中央卸売市場に関係する人たちの増加があります。高度成長に伴い、横浜および神奈川県内の消費力アップで多くの飲食店、販売店が登場します。

●1978年(昭和53年)の今日
「海の公園」着工
No.51 2月20日 海の公園計画発表
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/02/220.html
No.184 7月2日(月)  ハマに浜ができた日
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/07/no18472.html
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現在は下記のサイトに移行中です。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/

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