2013年10月2日水曜日

横浜年表ピックアップ【10月2日】

横浜の出来事を年表からピックアップしました。

これまで年代順に年表を紹介してきましたが、
今日から 私が気になった事件から順に紹介していくことにします。

●1916年(大正5年)の今日
相甲電気株式会社(資本金80,000円)が戸部町に設立された。
この一行は、つい見逃しそうな小さな記事でした。
どうも引っかかったので、調べてみると
1917年(大正6年)頃、現在の城山市一帯に電気を供給した会社だということがわかりました。さらに遡ると供給電力は
道志川(三ヶ木)発電所から配電されます。
道志川(三ヶ木)発電所は現在
 発電所:相模原市緑区三ヶ木字道志川
 取水口:相模原市緑区三ヶ木字小吹
 放水口:相模原市緑区三ヶ木字道志川
 建設時期は1911年(明治44年)です。
 現在「三ヶ木発電所の遺構」が残っています。


なぜ?
横浜に創設された会社が相模原の電気供給会社に?
この道志川発電所は、
当初住宅用では無く 工事用の電源を確保するために設置されたものです。
実はこの発電所は横浜市水道局の第二期拡張工事の際に工事用の電力を供給するために設置されたものです。
第二期拡張工事のうち、
青山沈殿池から津久井を結ぶ城山隧道(全長4358.5m)の掘削工事のために送気器や排水ポンプ、コンクリートミキサーなど数々の機械を使用するための電源用に設置されたものです。
第二回は図面が判読しにくかったので3回で代用しました。
隧道完成後は、相甲電気に譲り渡されて地域の発電所として活躍します。
その後、「富士水力」に吸収され最終的には「東京電燈=東京電力」に吸収されます。
1942年(昭和17年)3月31日に東京電燈が解散
翌4月1日に日本発送電(株)と関東配電が発足
1951年(昭和26年)5月1日に現在の東京電力(株)。
 この時、電力会社の再編成と民営化に尽力したのが
 ボーンアゲインを自ら実践し説いた松永安左衛門です。
 ※彼なら 現在の電力会社をどうしたでしょうか?
話しを戻します。
 横浜市の成長は「水」なくしては語れません。
開港以来40年間、横浜は水不足との闘いでした。


No.291 10月17日(水)横浜水要日!
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/10/no2911017.html
No.151 5月30日 100年前の先見性
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/05/no151530100.html

水源を遠く山梨県道志村に設け、配水路(水道道)を整備してきましたが
人口増に追いつかない状態が続き、
何回か大きな拡張工事を行ってきました。
第二期拡張工事は、横浜市水道行政の上でも極めて重要な工事でした。

※相甲電気が設立された戸部町は、野毛山のすぐそばですね。

●1886年(明治19年)の今日
岡倉天心(23歳)横浜港からシティ・オブ・ペキン号で出航、文部省美術取調委員としてアメリカを経由でヨーロッパに向います。
翌年の1887年(明治20年)10月11日、ゲーリック号で横浜に帰着します。
この日横浜港を出港した「シティ・オブ・ペキン号」には、小松宮彰仁親王が乗船し
イギリス、フランス、ドイツ、ロシア等ヨーロッパ各国歴訪に向かいました。
小松宮彰仁親王は、明治天皇の“義理”の叔父で、伏見宮邦家親王第8王子。
※岡倉天心が横浜と深い関係にあることは下記のブログをお読み下さい。
 No.280 10月6日(土)天心と三渓
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/10/no280-106.html
 No.382 1月16日(水)横浜と福井
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2013/01/no16116.html
 No.171 6月19日(火)虚偽より真実へ、暗黒より光明へ 我を導け
 http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/06/no171619.html

芋づる式でいけば、
 岡倉天心と同じ船に乗船した小松宮彰仁親王といえば、
 静岡県三島市にある国指定「天然記念物・名勝 楽寿園」が
 小松宮彰仁親王の別邸です。
 http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/index.htm
 2013年の夏、横浜のメンバーとこの楽寿園を水源とする
 「源兵衛川」の再生を探索してきましたのであわせて紹介します。
●1874年(明治7年)の今日
神奈川県布達道路規則の第14条で
「子供のたこあげ・羽根つき・こま廻し」を禁止。
この規則は、往来での事故が増えたからでしょう。
1872年(明治5年)にはすでに人力車が東京でも4万台を超えたということですから、横浜でも各地で人力車が“活躍”していたのではないでしょうか?
子どもの遊び場が何時の世も 被害者になってしまいますね。

●1899年(明治32年)の今日
ロマン・カトリック系フランス・サンモール修道会が山手に横浜紅蘭女学校を創立しました。→横浜雙葉学園ですね。
これも、資料の1899年(明治32年)ではなく
以下Wiki
1872年(明治5年)
 メール・マチルドをはじめとする
「幼きイエス会(旧サン・モール修道会)」の修道女が横浜に上陸し、
初の来日修道女となりました。
横浜の山手において、外国人子女教育および孤児養育事業を開始します。
1900年(明治33年)
 これを基礎とし、一般子女向けに横浜紅蘭女学校として開校。
1925年(大正14年)8月30日
 紅蘭女学校が復旧された。
1958年(昭和33年)
 校名を横浜雙葉に変更。
2000年(平成12年)
 創立100周年を迎える。

●1929年(昭和4年)の今日
早大横浜美術部第1回美術展覧会が伊勢佐木町不二家で開催されました。
「伊勢佐木町不二家」

No.41 2月10日 不二屋伊勢佐木町店新築開店
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/02/210.html

●1960年(昭和35年)の今日
プロ野球大洋ホエールズが初優勝。

No.300 10月26日(金) 優勝、日本一
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/10/no300-1026.html
※マイコレクション紹介します!!

No.1 1月1日(日) 奇跡の1998年(前編)
http://tadkawakita.blogspot.jp/2012/01/1.html

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